展示

ルイ・クペールス生誕150年記念展:『憐れみの糸』

2013年6月14日 - 2013年8月25日

Riksja Thumb

日本博物館シーボルトハウスは、2013年6月14日から同8月25日まで、オランダの文豪ルイ・クペールスの生誕150年を記念し、<『哀れみの糸』〜ルイ・クペールスと日本>展を開催いたします。展覧会では、クペールスの日本観を彼の二つの作品『日本(にっぽん)』と『憐れみの糸』に沿って、紹介します。

ルイ・クペールス(Louis Marie-Anne Couperus, 1863-1923)は、オランダの作家、心理小説を得意としました。蘭印で一財産築いたハーグの名家に生まれ、そこで幼年時代を過ごしますが、9才の時、 一家は財産保護のために蘭印に渡ります。6年後の1878年には、再びハーグに戻り、そこで学業を終えると、作家活動に入り、1889年には、ハーグを舞台にした初の長編小説『エリーネ・フェーレ』を発表、1923年に60才で亡くなるまで、休むことなく執筆を続けました。

クペールスは、第一次大戦後に『ハーグ・ポストという週刊誌に特派員として、旅行記を寄せる企画に合意します。動機には諸説あるようですが、先祖が築いた財産の目減りを気にしていたこと、子供時分に過ごした「自分の」蘭領インドをもう一度、訪れたかったからだと言われています。いずれにしても1921年10月中頃、クペールスは夫人とともにバタヴィアに向かい、そこから、中国、日本とアジアを一年かけて旅します。そこで綴られた中国と日本の印象は、まとめて『日本』(1925年)として出版されます。また、クペールスが、入院先の神戸万国病院の病床で、日本の神話を基に綴った短編は、1924年に『憐れみの糸』として、発表されます。クペールスは、日本で患った病から完全に回復することなく、どちらも 死後出版となりましたが、厳格な作家のもっとも私的な作品として、文豪ルイ・クペールスの長い作家人生の幕引きにふさわしいと評価をされています。

本展覧会では、ゲストキューレーターにルイ・クペールス文学財団代表ペトラ・テゥーニセン-ネイセを迎えて、クペールスの日本での足取りを、写真や手稿、また、クペールスの日本観を『日本』と『憐れみの糸』に沿って、版画など、展示品の数々で紹介します。